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Video: 【新クトゥルフ神話TRPG】ゲーム実況者が挑む「呼ばう家」

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神話, 2022-08-26, 【新クトゥルフ神話TRPG】ゲーム実況者が挑む「呼ばう家」, 夜空に弧を描く赤い発光体が、
N県の山奥へと落下した。

■シナリオ
新クトゥルフ神話TRPG「呼ばう家」
原作:「オカルトの森へようこそ」 作:中尾ヤスヒロ 監修/協力:むつー

シナリオ本編:https://talto.cc/projects/GTB60fVkeQD_b43Mewsz2
シナリオ素材:https://movies.kadokawa.co.jp/okamori/ (ページ中部に素材あり)

■プレイヤー(敬称略)
愛の戦士 @愛の戦士チャンネル

スナザメ @スナザメ実況

とりっぴぃ @とりっぴぃ

■KP
むつー https://twitter.com/mutuu24

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シナリオ「呼ばう家」は下記舞台をモチーフにしています。

「オカルトの森へようこそ」
 WOWOWにて7月22日(金)23時30分放送・配信スタート
  放送情報:https://www.wowow.co.jp/drama/original/okamori/

「オカルトの森へようこそ THE MOVIE」
 8月27日(土) 新宿ピカデリーほか全国劇場【3週限定】公開&デジタル配信同時開始
  監督・脚本・撮影:白石晃士
  出演:堀田真由 飯島寛騎/筧美和子 宇野祥平/白石晃士
  配給:WOWOW・KADOKAWA Ⓒ2022WOWOW・KADOKAWA・ひかりTV
  作品HP:https://movies.kadokawa.co.jp/okamori/

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0:00 配信開始
4:19 キャラ紹介
18:55 セッション開始
1:31:26 休憩
1:36:50 セッション再開
4:05:07 ぷち感想戦

■こちらのセッションもおススメ
【新クトゥルフ神話TRPG】「オカルトの森へようこそ」キャストが挑む「呼ばう家」

【クトゥルフ神話TRPG】きりとりぐちしょぼ「豪華客船と怪盗団」

【クトゥルフ神話TRPG】実況者、「火星より」

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ふせったー(文章) https://fusetter.com/
ぽいぴく(イラスト) https://poipiku.com/MyHomePcV.jsp

■クレジット(敬称略)
ありあ(サムネデザイン、ロゴ) https://twitter.com/air_trpg
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中尾ヤスヒロ(シナリオ、演出) https://twitter.com/XX_RABBIT
蘭朱日(NPC/PCイラスト) https://twitter.com/ran_p1122

本作は、「 株式会社アークライト 」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『新クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
Call of Cthulhu is copyright ©1981, 2015, 2019 by Chaosium Inc. ;all rights reserved. Arranged by Arclight Inc.
Call of Cthulhu is a registered trademark of Chaosium Inc.
PUBLISHED BY KADOKAWA CORPORATION 「新クトゥルフ神話TRPG ルールブック」

#新クトゥルフ神話TRPG #むつー卓 #実況者呼ばう家, むつー / mutuu gaming

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日本大百科全書(ニッポニカ)「神話」の解説

神話
しんわ
myth

神話を明確に定義づけることはむずかしい。というのは、この語は説話や伝説、あるいは現実には起こりそうにもない話など、あまりに多様な用いられ方をするだけでなく、神話の研究者の間でも用法が一定していないからである。イギリスの古典学者カークG. S. Kirk(1921― )のような大家すら、厳密な定義をすること自体が不可能であり、また無理に定義づけをするとかえって神話を理解しにくくする、と明言している。しかし神話と総称されるものが、多少あいまいではあっても、人間の文化のなかで重要な意味をもち、またその役割を果たしてきたことには疑問の余地がない。神話に学問的定義を与えるのが困難になった最大の理由は、それぞれの文化によってこの事象に微妙な違いがあることが認識された結果にほかならない。

 人間は、太古に生まれた物語を、神聖な説話として伝承してきたが、その内容は一見するといずれも荒唐無稽(こうとうむけい)で、現実には起こりえないような不思議や珍事、近親相姦(そうかん)などの不倫が続発する。しかしこれは合理的な思考ができなかったからでも、道徳を知らなかったからでもない。ただ、現在の世界の秩序や人間の生き方のルールが生まれる以前の、混沌(こんとん)とした世界で生まれたからにすぎない。人間と動物の区別もしばしば無視され、動物がまるで人間のようにふるまったり、動物とも人間ともつかない祖先たちが主人公の役を演じたりするが、これも同じ理由による。神話の物語る事件が起こった太古には、人間と動物、そして精霊などの区別がまだなかったか、あってもあいまいだったのである。

 これらの説話を神聖視して伝承する文化をもつ人々にとっては、神話は人間の運命や秩序について自ら納得する真実の話として信じられ、規範として生活の細部にまで浸透していた。いいかえれば、人間はそれぞれの文化のなかで固有の神聖な説話を生み出し、かつ伝承しながらそれに則して生活を営んできたわけで、そこにはつねに神話が反映されていたといってよい。しかし、人間の営為と神話とのこのような不可分的関係は、すべての人々に同程度に意識されていたわけではない。普通、神話は女性や子供たちには秘密にされ、成人の男性だけに、みだりに口外してはならない秘伝として教えられる。しかも多くの場合、秘伝の教授には段階が設けられているので、すべてを通過して奥義にまで通暁する者の数は限られる。つまり大多数の人々は、単に習慣としてふるまうことで、無意識のうちに神話を生き、倫理や秩序を反映させながら生活しているのである。

吉田敦彦

それぞれの文化は固有の神話を生み出し、伝承するが、その説話や話素、話形などはほかの文化へ容易に伝わり、別の体系の素材として取り入れられることが多い。また民族の移動や文化の伝播(でんぱ)に伴って、神話そのものが別の地域に持ち込まれることもしばしばある。その場合、持ち込まれた神話は以前からそこにあった神話と混じり合い、あるいは随所にその内容を取り入れるなどして変貌(へんぼう)し、新しい神話として再生される。このような神話の伝播は、新旧両大陸がまだ地続きであった1万年以上前の、後期旧石器時代にすでに始まっていたに違いない。したがって、神話の伝播の跡をどこまでもたどっていけば、世界中の神話は互いに遠い親戚(しんせき)関係にあると極言することもできよう。事実、どれほど遠く隔たった地域の神話でも、比較すると、かならずかなりの類似点がみつかる。たとえば、フランスの人類学者レビ・ストロースは、日本の神話と南北両アメリカ大陸の原住民の神話の間に特異な類似点がいくつかみいだされるのは、両地域が旧石器時代にアジア大陸から共通の神話の基本を受け入れたためであろうと推定している。

 神話が類似するもう一つの根本的原因は、神話を発生させる人間の精神の機構に、全人類共通の同一性があることであろう。これは、神話の内容がしばしば、その神話をまったく知らない人がみる夢のなかに現れるイメージやできごとと、驚くほどよく一致するという事実からも確かめることができる。このことをスイスの深層心理学者ユングは、フロイトの無意識の理論を継承しながら説明しようとした。ユングによれば、普遍的無意識は先天的な人間の心の基層であり、ユングが原型とよぶいくつかの一定の型に従った働きによって、さまざまなイメージを心のうちに発生させる。これらのイメージは、個人の経験や環境、属する文化の違いなどを反映して多種多様であるが、それでも同じ原型によって生み出されるものにはその多様性を超えた共通性があるとする。このユングの理論によれば、神話は夢と同じように、人間の心のとらえがたい最基層部の構造とその働きを知るのに貴重な手掛りとなるので、ユング派の心理学者たちはこの立場から神話を研究し、その成果を心理療法にも役だてようとしている。

[吉田敦彦]

与えられた自然環境にそのまま適応せず、環境を自己に適応させようとする人間は、環境と自己に対する関係に体系的説明を与え、それに照らして自分の行為を意味づけずには生きていくことができない。人間には因果律をとらえて合理的思考をする能力があり、それによって道具や技術、科学などが発達した。しかし、合理的にはけっして説明のつかない世界や人間の生死の意味などには、神話によって体系的な説明を与え、それに則して文化を構築してきた。

 神話のなかでは日食や月食のおこる理由とか、日暮れに西の果てに没した太陽が、なぜ翌朝にはまた東の果てから昇ってくるのかとか、あるいは太陽と月は、なぜいつも昼と夜の空に別れて現れるのかなどといったような、現代では科学的に説明できるようなことにも、非合理的な説明が与えられている。だがこういった科学的な説明が可能な事柄は、神話の取り扱う問題の核心ではなく、枝葉末節にすぎない。神話の核心は、人間の存在のまさに根本にかかわるので、それに説明を与えることは永遠に合理的思考とその産物である科学の埒外(らちがい)にある。そのうえ、神話はどれも多義的である。たとえば、日暮れに西に沈んだ太陽が翌朝東から昇る理由は、古代エジプトの神話では、夜の間太陽が地下界を通り抜けながら死者の国を照らすためと説明されている。この神話は、日没と日の出の現象と同時に宇宙の構造にも説明を与え、生が持続するためには死が不可避である現実をも教えている。さらにユング派の心理学者たちは、太陽が夜の間に黄金の杯に乗って西の果てから東の果てまで航海するというギリシア神話などに、ユングが「夜の海の航海」とよんだ、人格形成のために必要な「懊悩(おうのう)」が典型的に表現されているとしている。

 一方、太陽と月が昼夜別々に出る理由を、日本の神話では、あるとき食物の神が、地上で口からさまざまな御馳走(ごちそう)を吐き出して月神に食べさせようとしたのを、月神が怒ってこの神を殺してしまい、姉の太陽女神天照大神(あまてらすおおみかみ)を激怒させたためと物語られている。この神話は同時に殺された食物神の死体から五穀と蚕の繭(まゆ)、それに牛馬が発生し、それを天照大神が高天原(たかまがはら)で田畑をつくらせて養蚕を始めたと物語ることにより、農業と文化の起源をも説明している。月神の乱暴に対する天照大神の怒りは、秩序の必要を説くと同時に、純潔の処女であり母でもある女神の、流血は嫌悪するべきであるとの主張、さらに喜んで人間のために農耕を始めたという限りない人類への慈しみを表している。そして同時に昼と生の裏腹をなす夜と死が、女神の忌避にもかかわらず、世界と人類にどうしても必要であり、不可避であるわけも説明している。

 人間の文化にとって神話と合理的思考とは、後者の発達によって前者が不要になるのではなく、互いに補完的な関係にある。この関係は、合理的思考の産物である科学と技術が極度に発達し、伝統的説話の形での神話が生命を失ってしまったようにみえる現代の文化においても、根本的にはなんら変わってはいない。

[吉田敦彦]

日食や月食、日没や日の出などの科学的説明には、まったく疑問の余地はない。しかし、これらの事象の合理的説明を超えた神秘的意味まで説明し尽くすことは、科学にはけっしてできない。これは、死について科学的説明をしても、感情的には悲しみを和らげるために、ほとんどなんの役にもたたないのと同様である。つまり科学による説明が可能なのは、ただその事物の合理的に処理できる一面だけにすぎない。科学は、たとえどのように発達しても、人間の文化のなかで神話が果たし続けてきた機能を無用にしたり、それにとってかわることは、けっしてできないのである。したがって、意識的には神話を信じていないつもりの現代人も、現実には神話を必要としており、神話の機能を果たすものを欠いては生きていくことができない。この必要にこたえて、現代の文化も絶えずさまざまな神話や擬似物を生み出している。科学を絶対視しているつもりの人々も、現実にはやはり自己の文化が生み出す神話、あるいは擬似神話を信じることにより、日々の行動の細部まで律せられて生きているのである。

 現代文化から生まれるこれらの神話、あるいは擬似神話は、太古に起こったできごとに関する物語の形をとってはいない。そのため、これらを神話の範疇(はんちゅう)に含めることには問題があるが、それでも人間と文化にとってもつ意味とその果たす機能という点では、明らかに神話といってよい。それを信じ、それに従って生きている人々の大部分がそのことをはっきりとは意識していないという点でも、太古の神話のありようと共通性がみられる。しかも、ユングが普遍的無意識論で説明しようとした、世界中の神話に共通するイメージと発想は、これら現代の神話にもはっきりとわかる形でみいだすことができる。この点からも、やはりこれらを神話の一種と認めて、ほかの神話と比較してみることがたいせつであろう。

 このように人間はつねに合理的に物事を考え行動する一方、合理的に理解することができないものの処理は必然的に神話に頼り生きてきた。人間の文化はそれぞれ固有の神話を生み出し、またそれを生活のなかに生かしてきたので、どんな文化でもその根拠となっている神話に照らさずには理解することはできない。逆に神話に照らしてみることによって、たとえば首狩りや食人のような、われわれにはまったく蛮行としかみえぬ行為にも、それを習俗とする文化のなかでは、やはり文化的行為としての意味と価値があったことが知られる。

 もともと合理的説明が不可能な世界と人間の実存の意味に神話が与えてきた説明は、やはり不合理ではある。しかし、同時にほかと比較して優劣を論じることも無意味で、それぞれが固有の絶対的価値をもつ。そしてその絶対的価値はその神話そのものを生み出し、また生きた文化の価値でもあるので、人間が古来営んできたさまざまな文化の間に価値の優劣はなく、すべてが非合理で野蛮であると同時に固有の「絶対的価値」をもつことを思い知らされるのである。

[吉田敦彦]

『アレグザンダー・エリオット他著、大林太良訳『神話――人類の夢と真実』(1981・講談社)』『吉田敦彦著『神話の構造』(1978・朝日出版社)』『G・S・カーク著、内堀基光訳『神話――その意味と機能』(1976・社会思想社)』『大林太良著『神話と神話学』(1975・大和書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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神話の本質[編集]

典型的な特徴[編集]

神話の主要登場人物はや超自然的なヒーローが多い[17][18][19]。支配者や聖職者は神話を神聖なものとして是認し、宗教と密接に関係させることがあり[17]、そのような社会では神話は遠い昔の「真実の物語」とみなされる[17][18][20][21]。実際に、多くの社会では古い物語を二つに、すなわち「実話」として語る神話と、「嘘の話」である寓話とに区分している[22][23]。神話は一般的に、世界が現在の形をなす前の根源的な時代のことを描写し[17]、そこで世界がどのようにして今の有り様となったか[8][9][10][24]、そしてさまざまな習慣や社会組織、さらに禁忌がどうして成り立ったかを説明する[17][24]

伝説・昔話[編集]

神話はストーリーを持つ物語の形式で、人間を取り巻く様々なものについての過去の出来事を語る。このようなモチーフは伝説昔話でも扱われるが、これらと神話とは密接に関連するものの学問用語として明瞭に区分されている[2][25]

神話は始原的な出来事を伝えるものに対し、伝説・昔話は過去のある時点の出来事について語られる。また、単一の事象を伝える点では神話と伝説は似ており、伝説は神話同様真実を伝える物語と受け取られるが[17]、基本的に固有名詞を持つ人物を主人公とし、その活躍した場所も限定され、時代も世界がほぼ現在のように様相が固まった後を舞台とする[17]ため歴史的記載に近く、神話のような広い対象の根源になるものではなく、神聖的性格も帯びてもいない[2]。主人公も神話のような神や超人ではなく、あくまで人間が主役となっている[17]

昔話は異なる時と場所で何度か起こった出来事の典型を表す話であり、真実を表現したものではないか、もしくは神聖な物語ではないものと認識される[2][17]。例えば『桃太郎』も、退治はどこでも起こりうる争乱の数ある一つと捉えることが出来るため、神話とも伝説とも異なる性格を持つ[2]

神話・昔話・伝説の3つは伝統的な古い説話を区分する手段に用いられる[26]が、これを物語る各文化では必ずしも厳密な線引きが出来ている訳ではない[2][27]。文化圏によっては神話と伝説に明瞭な差異を持っていないところもあれば[28]、ひとつの同じ説話についても、ある集団はそれを真実と捉えてそれゆえ神話と考え、別の集団は虚構と捉えてそれは昔話と考えるような場合もある[29][30]。神話が宗教の一部に組み込まれたような状態では昔話的な特徴が強調されて、登場人物も人間の英雄や巨人妖精などへ再解釈されてしまう[18]

ただし神話・昔話・伝説は伝統的な古い説話を分類するほんの一部分でしかなく、これら以外にも逸話ジョークのようなものもある[26]。さらには古い説話そのものも民俗学の一分野でしかなく、他にも舞踊や伝統装束、音楽など多岐に渡る[30]

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神話はどのように読み解くのか『神話でたどる日本の神々』|じんぶん堂

概説

口承

今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。当時のヘレーネス(古代ギリシア人による彼ら自身の呼称)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた[注釈 1][注釈 2][注釈 3]

しかし当時の人々のなかで、特に、どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを語り広めたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する真実の知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった。そのため、ホメーロス等の作品においては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた。

口承から文字記録へ

口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的にまとめたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである[注釈 4]。彼が歌った『神統記』においても、その冒頭には、ヘリコーン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っており、ヘーシオドスは現存する文献のなかでは初めて系統的に神々の系譜と、英雄たちの物語を伝えた。このようにして、彼らの時代、すなわち紀元前9世紀から8世紀頃に、「体系的なギリシア神話」がギリシア世界において成立したと考えられる。

それらの神話体系は地域ごとに食い違いや差異があり、伝承の系譜ごとに様々なものが未だ渾然として混ざり合っていた状態であるが、オリュンポスを支配する神々が誰であるのか、代表的な神々の相互関係はどのようなものであるのか、また世界や人間の始源に関し、どのような物語が語られていたのか、などといったことは、ギリシア世界においてほぼ共通した了解のある、ひとつのシステムとなって確立したのである。

しかし、個々の神や英雄が具体的にどのようなことを為し、古代ギリシアの国々にどのような事件が起こり、それはどういう神々や人々・英雄と関連して、どのように展開し、どのような結果となったのか。これらの詳細や細部の説明・描写などは、後世の詩人や物語作者などの想像力が、ギリシア神話の壮麗な物語の殿堂を飾ると共に、複雑で精妙な形姿を構成したのだと言える。

次いで、ギリシア悲劇の詩人たちが、ギリシア神話に奥行きを与えると共に、人間的な深みをもたらし、神話をより体系的に、かつ強固な輪郭を持つ世界として築き上げて行った。ヘレニズム期においては、アレクサンドリア図書館の司書で詩人でもあったカルリマコス[注釈 5]が膨大な記録を編集して神話を肉付けし、また同じく同図書館の司書であったロドスのアポローニオスなどが新しい構想で神話物語を描いた。ローマ帝政期に入ってからも、ギリシア神話に対する創造的創作は継続していき、紀元後1世紀の詩人オウィディウス・ナーソの『変身物語』が新しい物語を生み出し、あるいは再構成し、パウサニアースの歴史的地理的記録やアプレイウスの作品などがギリシア神話に更に詳細を加えていった。

体系的記述

紀元前8世紀のヘーシオドスの『神統記』は、ギリシア神話を体系的に記述する試みのさきがけである。ホメーロスの叙事詩などにおいて、聴衆にとっては既知のものとして、詳細が説明されることなく言及されていた神々や、古代の逸話などを、ヘーシオドスは系統的に記述した。『神統記』において神々の系譜を述べ、『仕事と日々』において人間の起源を記し、そして現在は断片でしか残っていない『名婦列伝』において英雄たちの誕生を語った。

このような試みは、紀元前6世紀から5世紀頃のアルゴスのアクーシラーオスレーロスのペレキューデースなどの記述にも存在し、現在は僅かな断片しか残っていない彼らの「系統誌」は、古代ギリシアの詩人や劇作家、あるいはローマ時代の物語作家などに大きな影響を与えた[12]

古代におけるもっとも体系的なギリシア神話の記述は、紀元後1世紀頃と考えられるアポロドーロスの『ギリシャ神話』(3巻16章+摘要7章)である。この体系的系統本は、紀元前5世紀以前の古典ギリシアの筆者の文献等を元にギリシア神話が纏められており、オウィディウスなどに見られる、ヘレニズム化した甘美な趣もある神話とはまったく異質で、荒々しく古雅な神話系譜を記述していることが特徴である。

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概要

生きている神的存在が一度死に、死者の存在する地下世界に行った後で再生するという説話は、世界中に広く分布している。「死」「再生」は文字どおりのものとは限らず、食(日食月食)などで象徴される場合もある。

このようなとしては、オシリスアドーニスイエス・キリストミスラなどがあり、女神ではイナンナペルセポネーも死の国に行って戻ってきた。死と再生はエレウシスの秘儀の中核をなすものでもある。日本神話イザナギ黄泉訪問、アマテラス岩戸隠れも類縁である。また、20世紀怪奇文学のクトゥルフ神話のモチーフの一つである。

神話学的研究

近年の創作物であるクトゥルフ神話はおくとして、このように、死と再生の神は広く世界各地で語られた。歴史的には、このカテゴリーは宗教における二つの異なった研究法と強く関連してきた。第一は「自然派」とでもいうべき方法で、自然現象を元にそれらが並行して生まれたと説明するものである。第二は「内面派」とでもいうべき方法で、これらの神話を人間個人の精神的要素からの変型として説明する方法である。

自然派のアプローチ

季節を起源とする説

上記のような解釈学の二つの方法論の内、自然主義的なアプローチには太古からの典拠がある。これらの信仰は季節が巡る事と深く結びついており、例えばアテナイの女性が鉢の中に「アドーニスの園」を作ったとする。若い緑は育ち、夏の暑さに喘ぎ、やがて女性は若い神の死を悼むであろう(ギリシアの人々は草花の盛衰をアドーニスの去就と関連づけて表現する、の意。外部リンク参照。儀式に関しては後述)。このような合理的解釈は古代においても既に行われていた。アリストテレスは堅固な自然派の解釈をもって、神話の起源を季節という現象に帰している。こういった還元主義的解釈はやがてエウヘメロスen:Euhemerus紀元前4世紀の終わり頃)によって集約され、「エウヘメロス的」と呼ばれるようになった。宗教の中で公的・社会的な面を至上としたキケロや、セネカのような合理主義的なローマストア派は、アッティス、アドーニス、ペルセポネーの神話と祭礼を自然現象を引き合いに出して説明しようとした。キケロがいうには、ペルセポネーの誘拐と帰還は農作物の播種と成長を象徴している。

太陽活動を起源とする説

18世紀末になると、自然派の解釈には新しい活気がもたらされた。あらゆる宗教的な現象を太陽活動で説明しようとするリチャード・ペイン・ナイト (en:Richard Payne Knight) のような自由な思想家が現れたのである。かくして、イエスやオシリスの苦難はいずれも昼間、夜間、夜明けという一連の変化を表していることになった (Godwin, 1994)。この解釈自体は古くからあり、例えば古代エジプトの壁画には太陽が没した後、地下の「道」(女神の体内として表される)を通って再び夜明けとなって復活する様が描かれ、ミイラ信仰の元となっていた。

脱皮現象を起源とする説

や昆虫などの動物は成長する過程で脱皮という現象が見られ、古い身体を脱ぎ捨てて新しい身体を獲得する。古代人はその観察から復活・再生の象徴として捉え、特に蛇はエジプトの拝蛇教や、旧約聖書に出る青銅の蛇などが有名である。さらに、ヘレニズム期には自らの尾を咬む蛇、ウロボロスとして各地で永遠のシンボルとされた。蛇を邪悪なものとしたイメージは『創世記』のイヴの誘惑に出てくる蛇を悪魔と結びつけた後世のキリスト教の影響であるが、青銅の蛇やイエスの言葉でもある「蛇のとおり賢く、鳩の通り純粋になりなさい」の言葉からもわかる通り、キリスト教でも二面性をもっている。なお、聖書外典を所持していたグノーシス派の一部にも蛇を善の側とする見方が存在する。日本では奈良県大神神社に伝わる三輪山伝説が代表的なもの。

儀式を起源とする説

自然派の仮説は、ジェームズ・フレイザージェーン・エレン・ハリソン (en:Jane Ellen Harrison)、及び彼らを継いだケンブリッジの宗教研究家らの研究によって更なる高みに達した。彼らの『金枝篇』及び『ギリシア宗教研究に対するプロレゴメナ』は後世に大きな影響力を残した。フレイザーとハリソンはいう。神話から儀式が生まれるのではなく、儀式を説明するものとして神話が生まれた。即ち、全ての神話は信仰を反映したものに過ぎない。全ての信仰にはそれぞれ、共感呪術 (en:Sympathetic magic) によって自然現象を操作するという原初の目的がある。(彼等のいう)蛮族は、人間は大なり小なり自然界に超自然的な方法で影響を与えることができると信じていた。そのための方法の一つが、自らが望む自然現象を模倣することである。ペルセポネの強姦と帰還、オシリスの損傷と修復、バルドルの辛苦と勝利という神話は全て、衰えた大地と作物が再び肥沃な状態へと生まれ変わることを願う原始的な儀式から生まれたものであろう。

しかし現在では、神話と儀式の関係には普遍的な判断をつけずそれぞれの民族ごとに判断すべきという意見で一致している。儀式が先行し後に神話が作られたというフレイザーらの説を立証する証拠はほとんど見つからず、逆にアメリカインディアンゴースト・ダンスの例のように神話が先行して存在し、儀式は神話の補強として発達する例が多い[1]

内面的アプローチ

近代心霊主義の時代

ペイン・ナイトの太陽-ファルス説はフリードリヒ・マックス・ミュラーのような学者によってより無難な説にまとめられたが、説が一般人にも知られるようになると、奇妙な変化をきたす。これはヴィクトリア時代までには起っていた。黄金の夜明け団のようなグループは、キリスト、オシリス他の太陽の死と再生に関係すると推測された神々の間にある学術的に想定された並行性を用いて、極めて精緻なシステムを神秘主義神智学の裡に構成したのである。

輪廻転生

さらに広い視野で見てみると、「死と再生」の思考に似たものが東洋の宗教にもあることに気付く。ヒンドゥー教仏教などに見られる輪廻転生という概念で、生命は生死を繰り返し輪のように循環していると説くものである。何度も繰り返す点で季節や太陽の循環説と一致し、動物などに生まれ変わる事もあるとする点では異なるが、ユングは発想の類似に着目し集合的無意識に含まれるものとした。ユングは中国学者のリヒャルト・ヴィルヘルムの影響を受け、東洋思想の研究も進めていった。

ユングの説

20世紀に入る頃には、心霊主義化された説がアカデミックな場でも論議されるようになった。スイス心理学カール・グスタフ・ユング錬金術グノーシス派など神秘主義、アジア・アフリカなど諸民族の心理も視野に入れて研究を大成し、死と再生という元型集合的無意識により個人・民族間に共有される象徴の一部であって、心理学的統合過程に役立ちうると論じた。つまり、人間には無意識の力動があり、それは元型として象徴的に捉えられる。元型の中には個人個人の枠を超えて共有されるものがあるので、地域の神話として確立し、また似た種類の神話が各地に生まれた。例えば元型としての太母(グレートマザーマグナマテル)のイメージは地母神の中に頻繁に現われる。ユングの説はカール・ケレーニイジョゼフ・キャンベル (en:Joseph Campbell) ら学者の手で変更をうけつつ引き継がれた。

詳細については、次の URL をご覧ください。……

概要[編集]

日本神話と呼ばれる伝承はほとんどが、『古事記』、『日本書紀』、および、各『風土記』の記述による。そのため、高天原の神々が中心となっているが、出典となる文献は限られる。

また、地方の神社や地方誌の中にも上記の文献群には見られない伝承を残している。

本来、日本各地には出雲を始めとして何らかの信仰伝承があったと思われ、ヤマト王権の支配が広がるにつれていずれもが国津神(くにつかみ)または「奉ろわぬ神」という形に変えられて「高天原神話」に統合されたと考えられている。また、後世まで中央権力に支配されなかったアイヌ琉球には独自色の強い神話が存在する。日本神話の神々は現代に至るまで信仰の対象とされ続けている。

本記事においては主に『古事記』『日本書紀』で語られる神話(記紀神話)について解説する。

神話の構成[編集]

この記事では日本神話のあらすじを述べるにとどめ、各神話の詳細は別記事に譲る。

記紀などにおいて神代(神の時代、神話時代)として記された神話は、以下の通りである。神代は、神武天皇以前の時代を指す。

天地開闢[編集]

天地開闢ののち、高天原別天津神神世七代の神々が誕生。これらの神々の最後に生まれてきたのがイザナギ(表記は伊邪那岐、ほか)・イザナミ(表記は伊邪那美、ほか)の二神である。

国生みと神生み[編集]

イザナギイザナミの二神は自らが造ったオノゴロ島に降り、結婚して最初の子・ヒルコが生まれた。ところが、方法に間違いがあったことから失敗し、不具の子であった。この子を海に流した後、次の子・アワシマが生まれたが、またも正しく生まれてこなかったため、二神は別天津神に教えを乞い、そうして改めて正しく交わり、生み出したのが淡道之穂之狭別島であった。次に淡道を含む「大八島」と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していった。これらを「国生み/国産み」という。その後もさまざまな神々を生み出してゆくことになるが、これらを「神生み/神産み」という。しかしイザナミは火神カグツチを産み出す際に大火傷を負ってしまい、この世を去ってしまう。残されたイザナギは亡きイザナミに会いたい気持ちを募らせて黄泉国へ赴くも、彼女が黄泉の住者になってしまったことを思い知って逃げ帰る羽目になり、永遠に離別することとなった。その後、イザナギは黄泉国で被った穢れ祓うためにをした。この時にもさまざまな神々が生み出されたが、その最後に「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれる3柱、すなわち、アマテラス(天照)・ツクヨミ(月読)・スサノオ(須佐之男)を生んだ。

アマテラスとスサノオの誓約・天岩戸[編集]

「天安河原宮」と呼ばれるこの地で、八百万の神々の会議が開かれたとされる。

スサノオ(須佐之男)は根国へ行く前に高天原へと向かう。アマテラス(天照)はスサノオが高天原を奪いにきたのかと勘違いし、弓矢を携えてスサノオを迎えた。スサノオはアマテラスの疑いを解くためにうけい(誓約)で身の潔白を証明した(アマテラスとスサノオの誓約)。この時、のちに皇室出雲国造の始祖となる五柱の男神と宗像三女神が生まれた。

しかしスサノオが高天原で数々の乱暴を働いたため、これを怖れ憂えたアマテラスは天岩戸に隠れてしまい、地上は闇に覆われてしまった。神々は計略も用いてアマテラスを天石戸から誘い出し、光が地上に取り戻された。スサノオは悪行の責めを負って下界に追放された。

出雲神話[編集]

スサノオ(須佐之男)は出雲国に降り、八俣遠呂智を退治し、櫛名田比売と結婚する。スサノオの子孫である大穴牟遅神(大国主)は、八上比売と結ばれるが、それを妬んだ八十神に迫害される。難を逃れ、根之堅洲国でスサノオの試練を乗り越えると、スサノオの娘である須勢理毘売命を娶って大国主神となる。その後、沼河比売多紀理毘売命と結婚し、多くの御子神を生み、少名毘古那神三輪の神葦原中国の国づくりを始めた。

これらの説話は『出雲国風土記』には収録されていない。ただし、神名は共通するものが登場する。
また、全国各地の風土記や神社、地方誌には、独自色の濃い国作り神話が伝わっている。

葦原中津国平定(国譲り)[編集]

高天原にいた神々は、葦原中国を統治するべきなのは天照大御神の子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に遣わしたが、いずれも大国主神に寝返ったり、寝返った神に殺されたりと交渉は遅々として進まなかった。最終的に建御雷神ら武神二柱を派遣し、大国主神の子の兄・事代主神に国を譲らせ、果敢に抵抗した弟・建御名方神をも降服させる。御子神二柱が要求に応じたため、大国主神は自らの宮殿(出雲大社)建設と引き換えに、天の神に国を譲ることを約束する。

天孫降臨[編集]

天照大御神の孫である邇邇芸命日向に降臨した(天孫降臨)。このとき天照大御神から授かった三種の神器を携えていた。邇邇芸命は木花之佐久夜毘売と結婚し、木花之佐久夜毘売は御子を出産した。

山幸彦と海幸彦[編集]

邇邇芸命の子は山幸彦と海幸彦である。山幸彦は海幸彦の釣り針をなくしたため、海幸彦に責められる日々を送り、釣り針を500本作っても1000本作っても許してもらえないが海神の宮殿に赴き釣り針を返してもらい、海幸彦に釣り針を返し復讐して従えた。山幸彦は海神の娘と結婚し鵜葺草葺不合命という子をなした。そして、鵜葺草葺不合命の子が神倭伊波礼毘古命、のちの神武天皇である。

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神話とは何を伝えたいのか、どんな意味があるのか?

 神と神が結婚して、子としてわれわれが暮らしている島が生まれたとか、女神が洞窟に引きこもったら真っ暗闇になったとか。神話の中では現実世界にはあり得ないような出来事が語られています。日本の神話だけがそのように奇想天外な話なのではなく、他の地域の神話をみても、天の神と大地の神が結婚して神々が生まれる話があったり、三つの頭と蛇の尾を持つ犬が冥界の入り口にいたりするなど、これまた負けず劣らず不思議な話が展開しています。神話と総称される物語はたいていそのように不思議な話です。

 神話とはいったい何を伝えたいのか。この物語にはどんな意味があるのか。そう思うのは、科学が発達した現代の人だから、というわけではありません。この疑問について、古代ギリシャではすでに代表的な二つの考え方が示されています。一つは、寓意説というもので、神話とは、自然や倫理的原理の寓意(アレゴリー)だと解するものです。たとえば英雄の竜退治は、正義が悪と対峙し、それを克服する話を象徴しているのだ、といった具合です。アフロディテという美の女神であれば、欲望を象徴していると解釈したりします。

 もう一つはエウヘメリズムというもので、これは紀元前300年頃に活躍したエウヘメロスを代表者とする考え方でした。ギリシャ神話にはヘラクレスやペルセウスといった父は最高神ゼウスで、母は人間の女性という英雄たちが登場し、縦横無尽に活躍します。彼らのような半神半人の英雄は、実在の王たちの先祖であるとされたりしました。そのことも大いに関わっていると思いますが、実在の人物を賞賛する話がいわば大げさになっていったために、戦う相手は人ではなく恐ろしい姿をした怪物となり、戦い方も奇想天外になっていったのだというものです。

神話についての解釈

 神話は、なにかの原理を象徴的に表現しているのか。それともその背後に歴史的な事実があったのか。神話についての解釈は、今もこの二つの見方に集約されていくように思います。アマテラスが天の岩屋に籠もり、真っ暗闇になったという話は、嵐によって太陽が隠れたということを表しているのだという解釈があります。これは寓意説といえるでしょう。同じ天の岩屋の神話を、邪馬台国の卑弥呼の死という歴史的事実を表現したものだと解釈する人もいます。まさにエウヘメリズムです。より有名なエウヘメリズム的解釈としては、アマテラスがオオクニヌシに国譲りを求めた神話の背後には、大和朝廷と地方の豪族との対立と和解という歴史があるのだというものもあります。寓意説とエウヘメリズムのどちらの見方が正しくて、どちらかが間違っているということは言えません。神話の解釈には困ったことに「これが正解だ!」というものはまずなく、多くの人が賛成するかどうかで正解に近いかどうかを判断するようなところがあります。もちろん時代によって多数派になる解釈も変わっていきます。

『神話でたどる日本の神々』(ちくまプリマー新書)書影

 今回ちくまプリマー新書として『神話でたどる日本の神々』を送り出すことができました。今の私が考えている日本の神話の解釈について、神々を軸にして描き出してみました。私が神話学という学問の世界に踏み出して二十余年経ちますが、振り返ってみると自分の神話の解釈も変化していることに気がつきます。年齢を重ねたり、職場での役割や家庭環境の変化などが神話の読み解きにも影響を与えているように感じられます。性や年齢、社会での役割、家族構成、異なった立場の人たちがそれぞれに神話を読み解いて感想を言い合ったら、新しい解釈が生まれて楽しいのではないかと考えたりします。この小著は、私の読み解き。共感しない人もいるでしょう。ひょっとしたら後の時代になって完全否定されるものもあるかもしれません。それでも、一つの読み解きが、神話談義の口火を切るきっかけにでもなればと願って送り出します。

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むつー, 新クトゥルフ神話TRPG

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結論として、日本のエンタメニュースは興味深くエキサイティングな話題です。日本の文化やエンターテインメント業界について学ぶことはたくさんあります。日本のエンタメニュースはとても面白いです。新鮮でわくわくする情報が満載です。ぜひ、この本を読んで、この国とその文化についてもっと学んでください。この記事が有益で役立つことを願っています。読んでくれてありがとう!

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